『天気の子』の諸々。(ネタバレ含む)

 今日、新宿ピカデリーにて新海誠監督の『天気の子』16時40分の回を見てきた。

 一般向けに作られた前作『君の名は。』に比べ、だいぶオタク向き、否、陰キャ向き、否、童貞向き(?)に作られているような気がしなくもなくもなくもなくもなくもない。

面白かった。

 

 ずっと考えていたのは、この映画における「銃」の役割とは何か?ということ。

 作中で銃は主に二回登場する。一回目は、風俗業の斡旋業者に「連行される」陽菜を救おうとした場面。二回目は、鳥居(祠?)に向かう途中、ビルの中で警官たちと敵対する場面。どちらもこの映画における重要なシーンのように思える。

 

 神の力を人間が借りる。

 それは禁忌であり、大きな代償を伴う。

 『結城友奈は勇者である』『ささみさん@がんばらない』など、日本神話を取り扱った作品ではたびたび登場する表現である。

 映画の最序盤、陽菜が「光の水たまり」を見て病院から祠へ向かうシーン。

 禁忌。その途中で挿入される踏切のカットは、まさに彼女の行き着く先の危険性を暗示するように思える。黒柳徹子風の占い師が話した伝承もそれを説明するものと言えるだろう。

 代償。一度目の祈りは言わずもがな、陽菜は晴れ女となった代償に「人柱」となった。二回目の祈り、人柱となった陽菜を地上の世界に引き戻した代償に、東京は文字通り雨に沈んだ。

 

 ならば銃は、まさにその「神の力」の禁忌と代償を象徴するものとしてこの作品に登場したのではなかろうか。

 神の力(銃)を、東京で偶然出会い(拾い)、まだ少年の帆高が行使する。

 そのような象徴性を持つのではないか。(少なくとも一度目の発砲においては)

 

 そして銃と関連付けて語りたいのがもう一つ。それはこの作品と、この世界が明確に地続きであるということ。プリキュアバイトルマクドナルド、求人バニラ、日新どん兵衛...。挙げればキリがないほど、この作品はこの世界の物で溢れている。

 前作『君の名は。』のヒットからこの作品に多数のスポンサーが付いたからかもしれない。

 しかし、これらの事物の登場が、「この作品とこの作品は地続きである」ということを示すための仕掛けになっているとは取れないだろうか。

 前述したように、この作品には銃が登場する。晴れ女が登場する。空から美少女が降ってくる。しかし不思議と、この話は現代日本で、我々のすぐ近くで実際に起きている問題のようにも感じる。それは、渋谷や新宿という舞台から、「居場所の無い」三人の少年少女から、否応にも我々の世界に滲みだしてくる。

 そしてそこにおいて、この作品に多数登場する「この世界の事物」が効果を発揮している、とは言えないだろうか。

 考えすぎ?

 

 

 

 「雨でもいい」

 「その子に触るな!」

 

 晴れではなくとも、雨で良い。大人になるのは、もう少し後でもいい。

 爽快な作品だ。気持ちが良い。

 

 ところで、『天気の子』では「アヤネ」という少女を佐倉綾音が、「カナ」という少女を花澤香菜が演じている。

 そして「アヤネ」のフルネームは「花澤綾音」。

 百合。

 

 おわり